今生きてるのは運が良いだけ

 

僕は心配性の母親から、道を歩く時に注意すべきことを教え込まれて育った。母は僕と手を繋いで歩きながら、公園の出口、交差点、細い道など、危ないところに差し掛かるといつも優しく教えてくれた。僕は両親のことが大好きなので、あぶないことになってしんでしまったら両親が悲しむと思い、絶対に死なないためにいつも危ないところを指差し確認していた。

 

時は流れ、小学5年生。夏休み中の僕は、変わらず母の教えを守って過ごしていた。

友達の家で遊ぶ約束をしていた僕は、青信号が点灯している横断歩道を渡っていた。真ん中付近に差し掛かったところで、僕の記憶は無くなった。

目が覚めると、隣には両親がいた。2人とも泣いていた。僕は全く状況が理解できなかったが、しばらく経ってから、全身がボロボロになっていることに気づいた。そして、交通事故に遭ったことを悟った。信号無視の暴走老人が、僕に突っ込んだのだった。

幸い、僕は一命を取り留めた。しばらくの入院生活を余儀なくされた僕は、心ここに在らずというような感じで日々を消化していった。

ある日、病室のベッドの上でぼーっとしていたら、事故の恐怖とか、痛みとか、そういうもの由来ではない涙が溢れ出してきた。あんなに見たくなかった、不安と悲しみの涙を流す両親の姿を見てしまった記憶が蘇ったから。その日から僕は、今回の事故を避けることができたのではないかと思うようになった。上手くやれば、両親を悲しませずに済んだのでは?僕は、信号のない交差点や曲がり角、横断歩道に関しては細心の注意を払っていたが、信号そのものは信用していた。一本道の青信号は渡れのサイン。車側は必ず赤で、車は停車する。しかし、その前提が破壊された。

 

クソガキだった僕の中に刻み込まれたこの記憶は、今に至るまで僕の行動を制御している。制御というとマイナスに聞こえるかもしれないが、おかげで僕はここまで生きてこられた。運だけではなく、危険を着実に回避しながら生きてこられた。

僕は歩道を歩く時、車の運転と同じようにしている。前の人を抜かす時は、車線変更と同じように後方を確認する。抜かすときに限らない。自分の"車線"を変える時は必ず後方を確認する。後ろから自転車が来ているかもしれないから。自転車じゃなくても、人が走ってきているかもしれないから。

車線を変える時じゃなくても、時々後方を確認する。高速で何かが接近していても、早めに気付くことができれば何か対処できるかもしれないから。

青信号でも必ず左右を確認する。暴走車が来ていたら、渡り始める前に気づけるかもしれないから。

人が出てくる可能性がある死角の手前では必ず外へ膨れて飛び出しに備えるか、もしくは顔だけ出して死角を確認する。地下鉄駅の地上出口とかでよく遭遇する場面。

 

他にも注意している場面はたくさんある。こうやって書くと「常に気を張ってて生きづらそう」とか「疲れそう」とか言われそうだけど(というか言われたことがある)、僕にとっては至極当たり前のことで、何の労力もかかっていない。どれくらい当たり前かというと、青信号になったら片足を一歩前へ踏み出すのと同じくらい。外を歩く、という動作の一部に過ぎない。自分の命を守る術を教えてくれた両親には、心から感謝している。

 

大人になった僕は、こう考えている。

どう足掻いても避けられない交通事故(事故った車が吹っ飛んできた、等)を除けば、多くの事故は防ぐことができる。特に出会い頭の衝突と、歩道での自転車の追突は、大半が避けられるはず。

今生きている人は、運が良いだけ。多分ほとんどの人は歩いてて後方確認なんかしないし、死角から何かが飛び出してくるなんてことも意識していない。後ろを確認せずに前の人を抜かそうとした時、たまたま自転車が来なかっただけだし、ブロック塀が積まれた交差点の角から飛び出した時、たまたま高速で突っ込んでくる自転車や車がいなかっただけ。

特に歩きスマホをする人は、死ぬ確率がその他の歩行者より上がっている。スマホに多くのリソースを割いている状態で周囲に意識を向けるのは非常に難しいし、向けたとしてもそれは100%ではない。

多くの事故は起こるべくして起こっている。過失割合が〜とかどっちが悪いとか、そういう話ではない。たとえ10-0で自動車が悪いとしても、歩行者側にも回避できる可能性があるはず。僕が遭った交通事故は、側から見たら信号無視の暴走老人による衝突事故で、僕には非がないし、不可避なものだった。しかし、今考えると少なくとも不可避ではなかった。もう少しだけ注意深く右を確認するだけで、両親の悲しむ姿を見なくて済んだかもしれない。

 

何度も言うが、僕はこんなことを常々考えながら道を歩いているわけではないので、別に生きづらくもないし、気を張ってるわけでもない。この世の歩行者・運転手がもう少しだけ注意深くなったら、交通事故は確実に減る。今朝、出会い頭に低速の自転車同士がぶつかるところを見ながら、そう思った。

 

彼らは、運が良かっただけ。