孟浩然

 

木曜日
前日に引き続き、良い日だった。やることリストの項目が全て消えたときの達成感は、繰り返しの日常生活の中では格別だ。まだ明るいうちに外へ出た僕は、映画でも観に行こうと考えた。しかし、僕が観ようと思っていた映画はこの時間にはすでに上映を終えていた。つい先日までは夕方にもやっていたのに...。代わりに途中まで歩いて帰ることにした。

 

僕は歩くのが好きだ。乗り物に乗っていると一瞬で通り過ぎてしまうが、徒歩は低速なので隅々まで景色を見ることができる。気になる店を見つけた時に、その場に止まってメモをとることもできる。友人の一人が「歩くことは手段でしかないから嫌い」と言っていた。なるほどそういう考えもあるんだなと思った。僕は昔から、移動時間というものが大好きだった。電車や車の窓は枠があるので、テレビを見ているようで面白かった。陳腐な表現をすると、窓枠に切り取られた風景というやつである。そして街を歩けば、車窓からはわからない新たな発見がある。何度も歩いている道でも、少しずつ違うのが面白かった。置いてある鉢の位置が違ったり、熟年夫婦の喧嘩する声が聞こえたり、飛ばされた洗濯物が電柱にかけられていたり。
友人は、下かスマホを見ながら歩いているらしい。もったいない、と思ったが、口に出すのはやめておいた。当人がそれでいいと思っていることに対して「もったいない」とか「人生損してる」とか言うのは好きじゃない。言われるのも好きじゃない。彼にとっての徒歩は手段であり、僕にとっての徒歩は娯楽である。ただそれだけのこと。

 

 

 

今日は夕方から友人たちと会う。一人は仕事の関係で近いうちに東京を去って海外へ行ってしまう。彼らは数少ない、趣味や考え方が非常に近い人間だ。毎週のように缶チューハイ片手に語り合った仲。ずっとこの習慣が続くような気がしていた。そんなことはありえないのに。

 

あと何回会えるだろうか。
まるで帰省した帰りの新幹線で両親に対して思うかのように、友に思いをはせる。